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ほぼ直観で出た旅のおわりは・・
凍えるぐらいの寒さに筆が凍っておりました・・コーゾーです。
日本列島を包む寒波とコロナは、先に進みたい気持ちを折にかかってきますが
そんなモノに負けない明るい未来に向かって進んで行きたいものですね。
最初に少しだけ宣伝させてください(感謝
50才になってTwitterを始めました(汗・・
実は過去に2度ほどアカウントは作ったことがあったのですが、あまりの情報量の多さとスピードにやられて一日でログアウトしました・・・
自分に合うSNSではないなぁと感じていたのですが、この度・・三度目の正直(昭和。。)でログインしてみました。
Twitterでは主にシゴトのお話し(タイルにまつわるetc・・)を発信して参りますので、よろしければフォローをお願い致します。
今回のブログは前回のつづきになります
この記事は今年の仕事始めにブログを書き始めたのですが、氏神様へ新年の安全祈願に行く時間が迫り、途中でブログを完結させることが出来ず、【つづく】とさせていただいたのですが。。
実は期待していただくほどのオチは用意しておらず(汗・・
すっかり筆が止まってしまっていました。
ハナシのつづきをさせて頂くと、この後はイカした大将がいるお店で、地元でとれたお魚と何故か名古屋で修行してきた手羽先のから揚げを、これまた地元の日本酒と共に美味しくいただくことが出来ました。
そんなこんなで夜もふけていき・・
翌日はこの旅のゴールである伊勢へと湾岸沿いのワインディングロードを気持ちよく飛ばしていきます。
実は旅の目的がもう一だけあり、昨年より私の両親がお世話になっている伊勢の高齢者施設に両親の顔でも見に行こうかと考えておりました。
ほぼ思い付きで出た旅だったので最初は全くそんなことは考えてもみなかったのですが、新宮で目覚めた朝、熊野速玉にお参りに行った後ふと直観で思い立ちました。
今思えば・・・呼ばれていたのかなと思います。
調子に乗って湾岸道路を走り回っていたので伊勢についたのは夕方近くになり、伊勢神宮周辺の道路が大渋滞で全く車が動きません(大晦日なのに・・
結局、施設の面会時間に間に合わず諦めて自宅に帰ることにしました(紅白みたかったしで
その二週間後の1月15日に父は永眠することとなりました。
68才で住み慣れた大阪を後に伊勢志摩で母と二人、憧れの田舎暮らしを始めましたが、10年前に母がアルツハイマー型認知症となり、老老介護が続いておりました・
精神的にも追い込まれて、ここ2年ぐらい前にケアマネージャーさんのご尽力で今の施設に両親共にお世話になることが出来ました。
施設で安心した介護が受けれていたこととコロナ禍もあり、すっかりと脚が遠のいておりましたが、ふと年末に紀伊半島を一周し最後は伊勢にいこうと思いついたのは
今思えば、オヤジに呼ばれていたのかもしれません。
まぁ最後まで親不孝な息子だったなと、オヤジもあの世であきれていると思います・・
が、俺は今日も元気に楽しく生きているよ
それが最高の親孝行なんだと思うんだけどなぁ