- 中村タイルのこと
『ありがとう!』と言われた 【タイル職人】という しごと
あなたは 自分のしごとで 『ありがとう』と誰かに言われることはありますか?
ブログ4投目にしてSEO疲れのコーゾーです。
自分のしごとが、誰かの役に立っていると思えることが、実はしごとをしていく上で、一番大切なことだったりすると思っています。
直接お客様と接する機会が少ない建築業において、自分のしごとをお客様に褒めて頂く機会が多かった職種に【タイル職人】というしごとがあります。
今日はそんな仕事だった(過去形)【タイル職人】という しごとについて
今までに自分が経験したことを基に、伝えたいことを書いてみます。
最初に、この記事を読んでも、あなたの問題解決にはなりません。
でも、世の中には、こんなしごとや生き方もあるんだなって、知ってもらえたらと思います。
それでは、どうぞ!
物語りは約30年前に遡ります。
1991年 2月 大阪は西区南堀江1丁目にある、モルタル壁 スレート屋根の三階建て 延べ床300坪の倉庫から物語は始まります。
今でこそ、南堀江の立花通はハイブランドや有名セレクトショップが立ち並ぶ、アメリカ村と並ぶ人気スポットですが、30年前はただの寂れた家具通りでした。
バルブ経済が崩壊したことを、未だ国民が認識しておらず、この後30年にわたり、日本の経済成長がストップしてしまうなど、誰も知る由もなかった頃、私は3回目の転職で、今の会社に就職します。
営業職で入社しましたが、なぜか『明日から出社は6:30に来て』と言われ『スーツじゃなくていいよ』『靴は動きやすいやつで』と言われ、翌日出社してみたら仕事は倉庫番でした。。。。
仕事は、ほうきと塵取り持って店の前を掃除することから始まります。
その後、タイルを運ぶ際に使うパレットという木製の木枠をバールで潰して、ドラム缶を半分に切った焚火台の中に掘り込み、暖をとる準備をします(関西の方は理解してもらえると思いますが西成区ではなく西区のハナシ・・・マジです!)
ここから営業スタートです!
タイルの問屋である我が社の朝は、戦争状態から始まります。
タイルの産地である常滑や岐阜の多治見から送られてくる20トンにも及ぶタイルの仕分けをします。
その日に貼るタイルを引き取りに来るタイル屋さんに材料を渡したり、配達に向かう自社のトラックにタイルを積み込んだりと、怒号が飛び交いながら倉庫狭しと人々が思い思いに行きかいます。
そんな最中、毎朝リポビタンDを1ダース下げて水戸黄門のような空気感で現れるおじいちゃんがいます。
タイル職人の松永さんです。
その昔は、弟子が何十人もいる大親方だったらしいのですが、当時はもう水戸黄門のような、ちっちゃいおじいちゃんでした。
当時の年齢で70歳は優に超えていたでしょうか。
毎朝会社に来るのですが店(会社)が用意した現場(タイルを張る仕事)でも、自分が気に入らない現場はいきません(汗。
その日も店の番頭(工事担当者)が用意した現場が気に入らなかったのか、仕事にはいかず倉庫にある事務所で競馬の予想をしておりました。
朝の戦争状態がようやくひと段落つき、みんながたばこを吸いに一服しにいったとき、私は松永さんに初めて話しかけられました。
『兄ちゃん わしらのしごとはな、お施主さんから【綺麗に仕上げてくれて ありがとう】って言われて、お金が稼げるんや ええしごとやろ』
その時の私は、タイルの営業という仕事で入社したはずが、倉庫番という現状とのギャップに心が折れて、『もう辞めよう』と考えていたところでした。
新聞越しに渡されたリポビタンDを一気に飲み干し、当時使い慣れない言葉で『おおきに』と返答したことを、昨日のことのように思い出すことが出来ます。
お客さんに、褒められて、感謝されて、お金も貰えるのか!
タイルの職人さんて、どんな´【しごと】なんだろう!
今日にでも『辞めます』といいだしそうな自分に、ブレーキが掛かった瞬間でした。
つづく。。。のか?