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昭和レトロタイル最終章 第一章

昭和レトロタイルとの出会い

第0章はこちらから

前回の第0章では、

なぜ今、「昭和レトロタイル最終章」という連載を書こうと思ったのか。

その理由を綴りました。

今回から、いよいよ本編です。

まずはやはり、私が昭和レトロタイルとどう出会ったのか。

そのはじまりから書いておきたいと思います。

昭和レトロタイルに出会ったのは、今から約2年前。

2024年2月のことでした。

私は今年で、タイル業界に入って33年になります。

21歳のときに中村タイル(株)に入りました。

正直に言えば、最初からタイルに強い興味があったわけではありません。

というよりも、タイルって売れるんかぐらいに思ってました

当時はただ、寮がある会社だった、という理由でこの世界に入りました。

そこから問屋の営業として5年。

その後、タイル工事の部署へ異動し、気がつけば27年。

30歳で工事責任者になってからは、24年間、タイル工事の最前線で仕事をしてきました。

タイルを生業にしていると、本当にたくさんのご縁をいただきます。

職人さん、お客様、現場、メーカー、生産者。

数えきれないほどの出会いの中で、知識も経験も積み重ねてきました。

そんな私が50歳を過ぎた頃、社長から「新しい事業を見てほしい」と言われて立ち上げたのが、今のBtoC事業です。

最初は、何か立派な理想があったわけではありません。

工事で余ったタイル、これまで廃棄していた余剰材を、何とか活かせないか。

そこから始まった事業でした。

メルカリで売ってみると、想像以上のスピードでタイルが売れていく。

「これは、商売になるかもしれない」そう感じたところから、事業は少しずつ形になっていきました。

コロナ禍もあり、補助金も活用しながら、ホームページを整え、自社ECサイトを立ち上げ、オリジナルのコンテンツも作って、私たちはインターネットという海へ出ました。

けれど、その海は、当時の私たちには広すぎました。

どこへ向かえばいいのかも分からない。

誰に届けたいのかも、まだはっきりしない。

ただ、画面の向こうにいる誰かに向けてタイルを並べる日々。

まるで、羅針盤もないまま手漕ぎの小舟で大海原に出たようなものでした。

思うようには進まない。

毎日、沈みそうでした。

それでも、やめるのはいつでもできます。

ならば、何か手はないか。

そう考えて始めたのが、リアルのタイルショップでした。

顔の見えるお客様に、対面でタイルを届けてみよう。

実際に会って話せば、何を求め、何に困り、何に心が動くのか、少しは見えてくるかもしれない。

そんな思いで、お店を整え、棚にタイルを並べて、一般のお客様を迎える準備をしました。

ただ、始めてすぐに思い知らされたことがあります。

自分たちは、これまで一度も「集客」をしたことがなかった。

ということです。

お客様は自然に来てくださるものではない。

待っていても、ショップは動かない。

その現実を、そこで初めて突きつけられました。

何とかしなければと思って始めたのが、ワークショップです。

最初は、タイルを切る体験でした。

職人さんが使う道具を使って、実際にタイルをカットしてもらう。

そんな体験を届けようとしたのですが、集客は思うようにいきません。

参加者が1人、2人。

ゼロの時もありました。

今振り返っても、あの頃がいちばん、「集客って、こんなに難しいのか」と感じていた時期だったように思います。

そんな僕にとっては一番苦しい時に、出会ったのが昭和レトロタイルです

きっかけは、初めてタイルショップに来てくださったお客様でした。

大阪・阿倍野でご自宅を改装し、1階でアイスクリーム屋さんを始めようとしていた方です。

その方は、当時店に並べていた「大仏タイル」を見て来てくださいました。

確か、Instagramで見つけてくださったのだと思います。

初めてのご来店で、かなりの枚数をご購入くださいました。

小柄な方だったのですが、20キロ近くあるタイルをリュックに背負って、電車で帰られた姿を、今でも鮮明に覚えています。

後日、追加でタイルを買いに来てくださったときのことです。

ちょうどその時、店ではワークショップをしていました。

たしか参加者はお一人。

こちらが集客に苦しんでいることも、きっと伝わっていたのだと思います。

そのお客様が、ぽつりと教えてくださいました。

「ここにあるようなタイルではないんですけど、女性が好きそうなタイルを、四天王寺さんの蚤の市で骨董屋さんが売ってましたよ」その一言が、すべての始まりでした。

正直、その時の私はこう思いました。

この世の中に、まだ自分の知らないタイルなんてあるのかな、と。

30年以上この業界にいて、日本のタイルも、海外のタイルも、新しいものも古いものも、ずいぶん見てきました。

その中から「これだ」と思うものを選び、お店に並べてきたつもりでした。

でも同時に、もし本当に自分の知らないタイルがあって、それが人を呼ぶきっかけになるなら、行ってみる価値はある。

そうも思いました。

藁にもすがる思い、だったのかもしれません。

2024年2月。

私は四天王寺の蚤の市へ向かいました。

蚤の市に行くのは、たぶんその時が初めてでした。

頭の中には、新婚旅行で訪れたローマの蚤の市の記憶がどこかにあったのですが、四天王寺さんの蚤の市は、もっと土の匂いのする、縁日に近い空気でした。

ただ並んでいるのは、食べ物や当て物ではなく、茶碗や着物や古本や骨董品。

二畳、三畳ほどの店が、ずらりと並んでいました。

教えてもらった場所を頼りに、ようやく見つけたお店。

そこにいらしたのが、瀬戸から来られていた骨董屋の柴田さんでした。

古い木箱の中に、茶碗や焼き物のおもちゃに混じって、タイルがありました。

しかも、ほんの数枚。

ひっそりと潜むように。

でも、その中に、後に私たちの大ヒット商品になる昭和レトロタイルがありました。

一目見た瞬間にわかりました。

「ああ、お客様が言っていたのは、これだな」と。

それは、私が初めて見るタイルでした。

今まで見たことのない色。

見たことのない柄。

見たことのない形。

しかもそれは、メーカーから新品の箱に入って届く、いつものタイルではありません。

土や泥や埃をかぶった、ハギレのようなタイルでした。

欠けているものもある。

釉薬が飛んでいるものもある。

きっと、正規品としては出荷できなかったようなものも混ざっていたはずです。

それでも、目が離せませんでした。

私はその日、木箱に入っていたものをすべて買い占めて、店に戻りました。

店の裏のベランダで、一枚一枚、水で洗いました。

ブラシで泥を落とし、乾かし、並べ、棚に置く。

その時の手の感触まで、今でも覚えています。

果たして、売れるんだろうか。

お客様は来てくださるんだろうか。

半信半疑のまま、写真を撮り、Instagramに投稿しました。

それまで、私の発信を見てお店に来てくださる方は週に1人か2人。

ワークショップの申込みも、月に1人か2人。

その程度の反応でした。

でも、その日の投稿だけは違いました。

たくさんのいいね。

たくさんの反響。

画面の向こうから、これまでとは明らかに違う熱が返ってきたのです。

あの日は、僕はまだ知りませんでした。

四天王寺の蚤の市の木箱の中にひっそりと眠っていたあのタイルが、これから先、私たちの仕事も、お客様との関係も、そして自分自身の見ている景色まで変えていくことになるなんて。

昭和レトロタイルとの出会いは、

まさにあの日、あの木箱の中から始まりました。

次回は、その小さな出会いが、なぜここまで大きな熱狂につながっていったのか。

その続きを書いてみたいと思います。

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