- インスタでは書けない話
【続・日曜日の徒然なるままに】——「役に立たないけど、意味が生まれる瞬間」の話

今日のInstagramでも書いたけど、
最近ほんまに思うねん
「細分化すればするほど、世界は広がる」
これはタイルの話だけやなくて
生き方全部に通じるなと
たとえば同じ“白いタイル”でも
よく見ると
釉薬の乗り方
端の丸み
光の返し方
ムラや、手触り、質感、どれをとってもひとつとして同じものはない
”いろ”というカテゴリでは「白」やのに
細部まで目を凝らし
手に触れた
その瞬間に
急に白の世界が広がるねん
人生も、たぶんそれと同じなんやと思う
人間って不思議で
結局“自分の見たいものしか見えへん”し
自分に都合のいい話しか聴きたくない生き物
だけど世界は自分とって都合の良い狭さではなくて、ほんまは無数の景色がそこら中に広がってる
って言うか
64億通りの世界がそれぞれの人に存在してるんよね
だからさ
意見や価値観が合わないなんてことは
当たり前のこととして受け止めた方が
生きていくのは楽になるし
楽しめると僕は考えてる
所詮は人なんて
わかり合えないのが当たり前
—
でもな
そんな中でもさ
ひとつだけ確かなことがある
それは
心が震える瞬間は
いつも「役に立たないこと」から生まれる
これ、ほんまにそう思うんよね
小さい頃から僕はずっとそうだった
公園で泥団子作って硬さを比べていた時も
自転車買ってもらってどこまで遠くに行けるか
友達と冒険したあの頃も・・・
バルセロナでガウディに触れていた時もさ
そこで生まれるものは
お金にも、効率にも、合理にもつながらない
だけど人間って
その“非合理な時間”でしか
本当の意味でい”今生きてます”って感じることが出来ない生き物なんやと思う
余白のない毎日を過ごしていても
心のどこかがカサカサしてくる
SNSで見る誰かの正しさや
他人の価値観を浴びても
本音の部分は全く満たされへん
それどころかさ
気分悪くなるだけやん
だから僕はタイルに向き合う時間が
誰かの「心の保湿」になればええなと思ってる
#急にタイルぶち込んできたなw
—
僕は今年54歳になった
まだまだ人類ではビギナーやん
知らんことだらけで
これから知っていく世界の方が圧倒的に多いわけ
せやからこそ
“わかったふりをして生きる人生”は
ほんまにもったいないと思うねんな
一回きりの人生やのに
世界を「自分の小さなモノサシ」だけで測ってしまうなんて
そんな閉じた世界におる必要はひとつもない
—
人生って結局
「何に時間を使ったか」で決まると僕は思う
誰かに何かを見せるための時間じゃなくて
自分の心がちゃんと喜ぶ時間
役に立つかどうかやなくて
意味が宿るかどうかやで
タイルを並べる時間が
あなたの“意味のある時間”になったら
僕にとっては
これほど嬉しいことはない
実はさ
全く持って商売にはなってないんやけどね
#ここだけの話です
#ウチの社長は偉大やな(笑
—
そして僕は
これからもこの「タイルという小さな存在」が
誰かの世界をそっと広げていく瞬間に立ち会いたい
時代がどう変わっても
トレンドがどう動こうと
タイルに触れたときに生まれる“あの静かな熱狂”だけは
ずっと変わらへんと思うから
それが”いま”僕の信じてる世界
#変わるかも知らんけどw
もし、こんな話の続きを聞きたい人がおったら
このYouTubeもおすすめやで
誰も見てないからな
好き勝手喋ってんねん
インスタでは書かれへん裏話や
僕が普段どんな景色を見て動いてるか
そこで全部届けます
今日も読んでくれて、ほんまありがとう。
あなたの世界が少しでも広がりますように。
NO TILE NO LIFE
嵯峨広造



