- 中村タイルのこと
『ありがとう!』と言われた 【タイル職人】という しごと (住宅市場課編)
ブログの中で30年前を旅している コーゾーです。
あの頃と現代との違いはたくさんありますが、これだけ便利になった世の中で、ひとつ残念に思うことは【社会における寛容性】が少なくなったと思うことです。
【職人】という しごと を選択したひとたちと、一緒に生きてきた30年で、そんな風に感じることが多くなりました。
本当に正しいことなんて存在するのかな?
どんな意見も、立場によっては、間違っていて、それでいて正しい!
ネットが社会にもたらしたものは【思考の潔癖症】という少し息苦しい社会なのではないでしょうか。
私は、【自分に都合の良い適当な情報】を選択して生きています。
ひとが生きていくってことは、誰かにゆるしてもらうこと。
今日も、家族や会社やお客様に許してもらいながら、肩の力を抜いて書いています。
前回までのブログを読んでいただいた あなた ホントにありがとうございます!!感謝
まだ読んでいない あなた ここにリンク張っておきますのでよろしければ、こちらからどうぞ
nakamuratile.hatenablog.com
前回までのあらすじは、タイルの卸売部門である大阪営業所に配属となり、ようやく営業マンとしてデビューするものの、大口顧客の倒産に合い失意のどん底にたたきつけられるところまで力尽きました。
今回はここから
入社して四度目の春が過ぎました。
大きな売上の柱となるお客様と自信を失って、しごとにも身が入らずに尼崎をぶらぶらする日々が続きます。
この頃の尼崎は、震災の被害から立ち直ろうと、街のあちこちで建物の解体作業や区画整理などの道路工事が発生しており、阪神間の建築現場は大忙しですが、仕上げ業であるタイル工事に しごと が廻ってくるまでには至りません。
そうこうしている間に、バブル崩壊のあおりを受けて、問屋である当社のお客様も倒産が相次ぎます。
70名程いた社員もどんどん辞めていき、会社も元気がなくなります。
このまま此処にいても自分は成長しないのではないか?
当時の私は、環境を変えることでリセットしようと思い始めていました。
そして私はこの時期に大きな決断を致します。
会社を辞めるという道ではなく
【結婚】という道を選びます。
ほぼ暴挙ですね(笑
26才でした!
会社に無理をいって2週間休みを頂いて、新婚旅行は初めての海外であるイタリアへと旅に出ます。
大都市であるミラノと古都であるローマやナポリなど10日間 オールフリーでの旅は自分の人生感を大きく変えてくれました。
初めての海外旅行で、ガイドもなく、全く言葉も通じない中で、電車乗るのも、食べ物買うのも、何一つ上手に出来ない私に代わり、相方はイタリア人相手に堂々と立ち回り、次々と難関をクリアして行きます。
帰路につく頃には、家庭での主導権は全て奪われてしまいました(涙
余談ですが、これから結婚する人に、一人で海外旅行しておくことをお勧めしておきます。
そして旅から帰ってきた私を待っていたのは、配置転換でした。
当時の社長(現会長)が、これからの長引く不況に対して行った施策に、新チャネル開拓で活路を見出すため、国内建材メーカー最大手LIXIL(当時INAX)と提携し、INAX社員に出向して頂き、当社社員3名と合計4人で立ち上げた部門への異動でした。
私が移動となった時期は部門が【住宅市場課】として立ち上がり2年が経過した段階で、最初に出向に来て頂い方がINAXへと帰任し、変わりに新しい方がINAXから当社に着任されるタイミングでした。
ここで、私は【自分の人生で大きな影響をあたえてくれた方】に出逢います。
INAX 水野さんです!
私は今でも、水野さんに教えて頂いた多くのことを、人生の教訓として生きております(守れているとは言っていない
当時、水野さんは私よりも半年程早く着任され、既にプレイングマネージャーとして仕事に就かれておりました。
今、思い出しても恥ずかしい限りですが、移動したての私は、転籍前の卸売り部門では以前としてトップセールスであり、会社をけん引している自負もありました。
また、水野さんの前情報として、INAXでは設備部門(トイレ)のエキスパートでタイルについては全くの素人である(前任者はタイルのプロ)と聞いていたので、正直舐めてました。
そんな状態で転籍した私は、
水野さんから一括されます!
『嵯峨君の書類は誤字脱字が多すぎて読めないし理解できない、次から書類はすべて鉛筆で書いてくれ!』
まだパソコンが普及していない時代、見積もり書、提案書、報告書のほとんどを手書きで下書きして事務員さんがワープロで作成していた時代です。
その時は、まさに青天の霹靂でした
怒られたのです!!真剣に 物凄い剣幕で・・
それまでの私は、会社で怒られたり注意されたりすることが、もうほとんどありませんでした。(聞いてなかっただけかもしれません
しかも、しごと の内容ではなく、字で(笑
この時の気持ちは今でもはっきりと思い出すことが出来ます。
嬉しかったのです 物凄く!
ここから、私は考え方を180度変えて動きます。
以前から、行動力だけは誰にも負けない自信はありましたので、このひとに【褒められたい】その一心で働きます。
当時の住宅市場課はまだ柱となる顧客数が少なく、新規開拓が主たる業務の一環でした。
当時の新規開拓は、ローラーと言われる手法で、建築業者に飛び込みで営業して、タイル工事を受注するために必要な建築図面を持って帰ることが、契約につながる手段とされておりました。
一日5~10件程度をひとりで廻る計画を立て各自営業に出かけます。
そのなかで1件図面をもらえれば良しとしていたのですが、私は水野さんに褒められたい一心で一日に20件以上廻り3~4件図面をもらって帰ります。
そうすると翌朝の朝礼で、水野さんからみんなの前で褒められます。
単純な私はそれがとても嬉しかったのです。
まぁ無理やり図面をもらってきた手前、なかなか成果にはつながりませんでしたが・・(汗
このときの私は、毎日しごとに行くことが楽しくてしかたありませんでした。
水野さんから、しごとの仕方、物事の考え方、人生のあるべき姿などを数多く教えて頂きました。
現在の私は、マネージャーとなり部下を持ってから約20年が立ちました。
今でも10人の部下と一緒に日々のしごとに取り組んでおります。(主にブログ・・汗。。
そして今になり、ようやく解ったことがあります。
マネージャーのしごとは、部下の成果にコミットすること。
そのために重要なことは、行動目標の管理でも、ドラッカーの定義を教えることでもなく【聴く力と承認力】なのだということ
あのときの水野さんは、身をもって私に教えてくれていたのだということを・・・
【タイル職人】はどうなっとんねん(怒 と、お思いの あなた!!
ここから話は急展開していきます。
風雲急を告げる、炎のタイル職人編!
その前に・・
4000文字超えたので、一旦チャプター区切ります!